今もっとも注目を集めているのが、沖縄尚学高校の左腕・末吉良丞さんです。
中学時代から怪物級と呼ばれる存在で、軟式野球ながら145kmを記録した実績は全国的にも話題となりました。
「どこの中学出身?」「どうやってそんな速球を身につけたの?」と気になる方も多いはず。
この記事では、末吉良丞さんの出身中学や、そこでの驚きのエピソード、厳しい練習や指導者との出会い、そして将来性までを詳しくご紹介します。
この記事でわかること
- 末吉良丞さんの出身中学と野球部での環境
- 軟式145kmを記録した驚きのエピソード
- 仲西中時代の厳しい練習と顧問の指導方針
- 高校進学後も注目された理由
- ドラフト候補として期待される将来性
末吉良丞の出身中学はどこ?
末吉良丞さんは沖縄県浦添市にある「浦添市立仲西中学校」の出身です。
中学時代からすでに地元では有名な存在で、その実力は当時から群を抜いていたと言われています。
特に野球部での活躍ぶりは、周囲の中学生とは一線を画しており、すでに高校やプロ関係者の目に留まるほどでした。
仲西中学校という環境で、才能を大きく伸ばしていったことが、今の末吉良丞さんにつながっているようです。
ここではその中学時代の詳細を見ていきましょう。
仲西中学校での所属チームと環境
末吉良丞さんは仲西中学校の軟式野球部に所属していました。
硬式クラブチームに入る選手も多い中で、学校の部活動に専念していたのは意外かもしれません。
しかし、部活動だからこそ仲間との一体感や基礎を徹底できたと言われています。
学校のグラウンドは決して広くはなく、練習環境も整っていたわけではありませんが、そうした制限が逆に末吉良丞さんの身体能力や投球技術を磨くきっかけとなったようです。
入学当初から光っていた才能
入学当初からすでに他の部員とは一線を画す投球を見せていた末吉良丞さん。
体格や腕の強さはもちろん、投球フォームの完成度が高く、顧問の先生からも「最初から特別」と評されていました。
中学1年の段階で速球はすでに120km台を記録しており、年を追うごとに球速は加速。
3年生になる頃には全国レベルの注目を集める存在となっていました。
末吉良丞の驚異の145kmを叩き出した中学時代
末吉良丞さんの名前が一気に広まったきっかけは、中学3年生のときに記録した「軟式で145km」という驚異の球速です。
「中学3年のときセルラー球場(那覇市営奥武山野球場)で公式戦をしたんですが、投球練習で145kmをマークしたんです。
軟式で145kmを投げるピッチャーがいるとなれば、県内外で垂涎の的となるのは当然だ。現中日の根尾昴(2018年ドラフト1位)が中学3年時に所属の「飛騨高山ボーイズ」で146kmを投げて一躍注目を集めたが、あくまでも硬式ボールだった 引用元:NumberWeb
通常、軟式ボールは軽いため球速は速く出にくいとされますが、それでも145kmという数字は高校生レベルをはるかに超えています。
この瞬間を目の当たりにした観客や対戦相手はもちろん、指導者やスカウトも度肝を抜かれたと言われています。
まさに中学野球界における怪物の誕生だったのです。
場がどよめいた軟式145kmの瞬間
ある公式戦で末吉良丞さんが投げたストレートは、スピードガンで145kmを計測。
軟式野球でこのスピードが出ること自体が非常に珍しく、球場全体がどよめいたといいます。
対戦打者は反応すらできず、あっという間に三振を奪われる場面も多かったそうです。
同級生が指を骨折した驚きの投球力
末吉良丞さんの投球の威力は、チームメイトにとっても想像を超えるものでした。
練習でキャッチャーを務めた同級生が、彼の速球を受けた際に指を骨折してしまったというエピソードも残っています。
中学生のキャッチャーは良丞のボールを捕るのを怖がるんです。140km超の球を投げるので怖いのは当然なんですけど、同級生のキャッチャーが低めのストレートを捕った際に親指を骨折してしまった。
引用元:NumberWeb
それほどまでに強烈なボールを中学時代から投げ込んでいたのです。
この出来事は仲西中の野球部内でも伝説のように語り継がれ、末吉良丞さんの才能が規格外であることを改めて証明しました。
仲西中での練習と指導者との出会い
末吉良丞さんの実力をさらに伸ばしたのが、仲西中学校の練習環境と指導者との出会いでした。
決して恵まれた環境とはいえない中で、厳しくも的確な練習が末吉良丞さんを鍛え上げていったのです。
仲西中の野球部は基礎体力を徹底的に鍛えることで知られており、精神面も含めた「土台作り」が大切にされていました。
その練習をやり抜いた経験が、今の末吉良丞さんの強さにつながっています。
丸太走やポール間ダッシュなどの特訓
仲西中学校の野球部では、野球の技術だけでなく体を徹底的に鍛えるトレーニングが多く取り入れられていました。
代表的なのが「丸太走」や「ポール間ダッシュ」。
練習試合のときもコントロールが荒れてフォアボールを出したらすぐ交代して『お前、(丸太担いで)走っとけ』と。良丞は練習に対して真面目なので不貞腐れもせずに丸太を担いでよく走りましたよ。
引用元:Number Web
丸太を担いでグラウンドを走るメニューは非常にきつく、多くの部員が音を上げる中でも、末吉良丞さんは最後までやり抜いていたそうです。
さらに、全力疾走を何度も繰り返すポール間ダッシュもこなし、体力と持久力を兼ね備えた強靭な体を築いていきました。
こうした地道な練習が、彼の怪腕を支える基盤となったのです。
顧問・大浜淳一さんの評価と指導方針
当時の野球部顧問である大浜淳一さんは、末吉良丞さんを
「中学1年から身体はがっしりしていて球も速かったんですけど、コントロールはめちゃくちゃでした。3年間、コントロールをつけさせることに難儀しました。でも本人はとっても頑張り屋なのでフォームを微調整しながらコントロールを身につけていき、調子がいいときはど真ん中だけでも全然打たれない。1年の秋頃には聖光学院の監督さんがわざわざ沖縄に来て練習を見ていました」
引用元:NumberWeb
中学1年生で体格もあり球速も速いとはいえ、コントロールが安定しない中でここまで成長できたのは、本人の頑張り屋な性格が大きかったのでしょう。
努力を重ね、フォームを微調整しながら実力を磨く姿は、将来の可能性の大きさを強く感じさせます。
また、調子の良いときにはど真ん中の球でも打たれないという逸材ぶりには驚かされますし、早くから高校側の監督も注目していたことから、周囲からの評価も納得です。
才能だけでなく努力で成果をつかむ姿勢に感心させられます。
末吉良丞の中学時代から見える将来性
中学時代の末吉良丞さんは、すでに「将来のプロ候補」として注目される存在でした。
球速だけでなく体の強さ、精神力、練習に取り組む姿勢すべてが高いレベルにあり、ただ才能に恵まれていただけではなく、努力でそれを伸ばしていたことが特徴的です。
仲西中学校で過ごした3年間が基盤となり、高校での活躍、さらにその先へとつながっていく大きな礎になったのは間違いありません。
高校進学後も注目された理由
浦添市立仲西中学校を卒業後、末吉良丞さんは沖縄尚学高校へ進学しました。
中学時代からの実績があったため、高校入学直後からスカウトやメディアの注目を集めていました。
特に「中学で145kmを記録した左腕」という肩書きは大きく、すでに高校野球界でも話題の選手だったのです。
高校でのさらなる成長が期待されていたのも当然と言えるでしょう。
ドラフト候補として期待される背景
中学時代から規格外の才能を見せていた末吉良丞さんに対して、プロのスカウトも早い段階で目をつけていました。
左腕で145km以上を投げられる選手は非常に希少であり、さらに制球力や変化球も磨かれていけば即戦力として評価される可能性が高いのです。
加えて、厳しい練習をやり抜いた経験や強靭なメンタルもプロ向きだといわれています。
将来的にドラフト上位候補になると期待されているのは、このような背景があるからです。
まとめ
ここまで『末吉良丞の出身中学はどこ?驚異の145kmを叩き出した中学時代』と題してお送りしました。
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出身中学は沖縄県の浦添市立仲西中学校
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軟式野球部に所属し、中学3年で145kmを記録
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同級生が指を骨折するほどの強烈な速球を投げ込んだ
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厳しい特訓を支えた顧問・大浜淳一さんとの師弟関係
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中学時代からすでにドラフト候補として注目されていた
末吉良丞さんは、仲西中学校での経験を通じて心身ともに大きく成長し、怪物級の投手へと歩みを進めてきました。
中学時代から規格外の才能を見せていた彼が、今後どのような進化を遂げていくのか、多くの野球ファンが期待を寄せています。
将来のプロ舞台での活躍にますます注目が集まりそうです。