「消防士からデヴィ夫人のマネージャー?…えっ、今は農業の第一人者!?」
そんな驚きの声がSNSで続出しているのが、徳本修一さんという人物です。
2025年に出演した農業番組をきっかけに再注目され、「経歴がヤバすぎる」と話題沸騰中。
実はその裏には、一貫して“自分の信念を貫いてきた”人生哲学がありました。
本記事では、徳本修一さんの激動のキャリアを時系列で紹介しながら、なぜ徳本修一さんが今、社会的にも注目される農業経営者になれたのかを深掘りします。
この記事でわかること
- 徳本修一さんのプロフィールと経歴まとめ
- デヴィ夫人との驚きの出会いとマネージャー時代の裏話
- 異業種転身を繰り返してきた理由と共通する価値観
- 現在の農業ブランド「TREE&NORF」の取り組み
- SNSで話題の理由と、これからの展望
徳本修一の異色経歴がすごい!
徳本修一さんの人生は、とにかく型破り。表にまとめました。
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時期
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職種/活動
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詳細
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1990年代後半(20代前半)
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消防士
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鳥取県東部消防局で5年勤務。規律正しい生活が後の忍耐力の基盤に。 |
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1999年4月頃
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タレントマネージャー
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上京後、デヴィ夫人のマネージャー(数ヶ月)。海外ロケ(NY、パリ、ジャカルタ)同行の過酷&豪華エピが転機。
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2000年代初頭
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歌手活動
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ハードロック/テクノ/ポップスバンドで路上ライブ。柏駅前で100人集客、新聞掲載&FMラジオ出演。
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2000年代中盤
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IT企業役員
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音楽挫折後、ITベンチャー(バリストライドグループ)役員。ビジネススキル磨く。
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2009年頃
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Uターン就農
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34歳で鳥取帰郷。就農し「わったい菜」創業後、農業法人TREE&NORF設立。有機米/野菜生産で「農業は経営と科学!」発信。
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2023年
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バイオ作物ネットワーク理事長
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日本バイオ作物ネットワーク設立、グローバルファーマー・ネットワークメンバー。
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2024年
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世界農業フォーラム評議員
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世界農業フォーラム評議員就任。メディアで「農水大臣にしろ!」熱弁。
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2025年現在
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農業経営者
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TREE&NORF代表。飼料米生産拡大、グローバルファームリーダー賞受賞。農業革新を推進中。
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出典元:TREE&NORF公式サイト
消防士・ミュージシャン・IT役員と多彩すぎるキャリア
一つの仕事を続ける」という常識を軽々と超え、消防士からスタートして、芸能界、音楽、IT企業、そして農業の世界へと次々に舞台を変えてきました。
普通なら不安に思うような転職も、徳本修一さんにとってはすべて「次のステージへの挑戦」。
この多彩な経歴が今、テレビやネットで再注目されている理由のひとつ。
特に、デヴィ夫人の元マネージャーという異色すぎるキャリアが「え?本当なの!?」と話題に火をつけています。
徳本修一さんは単なる転職マニアではありません。
どの職種も“本気”で向き合い、その経験を糧に次の仕事へと活かしてきたからこそ、今の信頼と実績があるんですね。
Xでも話題!「人生5回分」と言われる経歴の魅力
2025年5月、農業番組で「デヴィ夫人の元マネージャー」と紹介されたことをきっかけに、X(旧Twitter)で徳本修一さんの名前が再びバズりました。
番組内で紹介された経歴がとにかくスゴすぎて、視聴者からは「経歴が異色すぎてドラマ」「これで本出せるレベル」と絶賛の声が続出!
Xでは以下のような投稿が拡散されました。
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「消防士→デヴィ夫人→ミュージシャン→IT役員→農業って何!?」
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「毎回ジャンルが違うのに、ちゃんと結果出してるのが本当にすごい」
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「なんでこの人、もっと早く話題になってなかったの?」
この流れを受けて、徳本修一さんの過去インタビューや公式サイト「TREE&NORF」へのアクセスも急増。
「自分のやりたいことに素直に生きている姿」に、共感や憧れを抱く人が増えているようです。
徳本修一がデヴィ夫人マネージャーから有機農業の第一人者になれた理由
消防士を辞めて上京した25年前、ちょうどデヴィ夫人が日本でテレビに出始めていた頃で、ラッキーなことにご縁があり、1年半くらい現場マネージャーとして従事させていただいた。最初の半年くらいは雑用係として何でもやった。ある時から、海外ロケ含め、あらゆる現場に彼女が連れて行ってくれるように…
— 徳本修一|I AM A FARMER (@tokumoto1122) October 16, 2024
徳本修一さんがデヴィ夫人のマネージャーになったのは、23歳の頃。
まだ鳥取で消防士をしていた徳本修一さんは、「もっと広い世界を見てみたい」と上京を決意。
芸能界を夢見て、リュックひとつで東京へ飛び出しました。
衝撃の出会いと、濃すぎた芸能界体験
転機となったのは、求人誌で見かけた「某有名文化人のマネージャー募集」という一文。
誰のマネージャーかもわからないまま応募し、面接もなく突然「スタジオ集合」とだけ伝えられた初日。
5時間の待機後に黒塗りの車から降りてきたのが、なんとデヴィ夫人だったんです。
まさにドラマのような初対面から始まった芸能界の日々は、濃密そのもの。
犬の散歩、私的サポートから、スケジュール管理、海外ロケ同行まで多忙を極めました。
夫人の「来た仕事はすべて引き受ける」というスタンスに合わせて、徳本修一さんは寝る暇もないほどの毎日を経験したといいます。
特に印象的だったのは、ジャカルタやバリ、パリ、NYなどへの海外出張。
きらびやかな社交界パーティの裏で、途上国の子どもたちの貧困にも直面。
「生まれる場所の違いが人生を左右する」ことに衝撃を受けたそうです。これが、後に“命を全うする”ことを軸に生きる原点となったのです。
命を全うする覚悟をくれたデヴィ夫人との絆
デヴィ夫人との日々は過酷でしたが、それ以上に学びと感動の連続でした。
はっきりした物言いの夫人は、演出に納得がいかなければ「ワタクシ、やらないわよ」と即断。
そのたびに、徳本修一さんがスタッフとの間を丁寧に取り持つ“通訳”役を担い、徐々に信頼を得ていきました。
そんな徳本修一さんの働きぶりに、夫人も心を開いていったようです。
退職した後も、夫人から「戻ってこないか」と連絡が。
なんと、携帯番号が変わっても鳥取の実家にまで電話をかけてくるというエピソードまであるほど。
これはもう、プロフェッショナルを超えた信頼関係ですね。
この経験は、徳本修一さんの人生にとって“覚悟”をくれた時間でもありました。
華やかさと混沌、光と影の入り混じる芸能界で、徳本修一さんは「人としてどう生きるか」を真剣に考えるようになったそうです。
そして、このとき芽生えた“命を全うする”という思いが、のちに彼を農業へと導く大きな原動力になったのです。
出典元:treeandnorf.com
異業種転身を重ねた徳本修一が貫いてきたこと
徳本修一さんは、自分の目で世界を見て、自分の意思で生きるという姿勢です。
背景にある価値観を順番に見ていきましょう。
なぜ挑戦し続ける?共通するある価値観とは
徳本修一さんのキャリアを振り返ると、まるで「転職の連続」という印象を受けますが、実はその背景には一貫した“価値観”があります。
それが、「自分の目で世界を見て、自分の意思で生きる」という姿勢です。
消防士時代は、規律正しい日々を通じて“忍耐力”を培いました。
芸能界では、理不尽さや華やかさの裏にある“本質”を見抜く目を養い、音楽活動では“表現することの楽しさ”と難しさを経験。
そしてIT企業では“ビジネスの仕組み”を理解し、農業では“自然と命に向き合う力”を身につけた――。
どの業種でも、徳本修一さんは決して“なんとなく”選んだわけではありません。
その時々の自分の気持ちや環境をしっかり見つめ、「今、本当にやりたいこと」に正直に向き合ってきたのです。
特に興味深いのは、農業を「経営」と「科学」として捉えている点。
これはまさに、IT業界で磨いた論理的思考やマネジメント能力の賜物です。
つまり徳本修一さんのキャリアはバラバラではなく、すべてが次につながっている“線”なんですね。
「目の前の仕事に全力を尽くす」「常に次の挑戦に備える」。
これが、徳本修一さんが何度も転身を遂げながらも信頼され続ける理由の一つです。
農業は科学であり経営常識を覆すビジョン
農業というと、どうしても「自然任せ」「体力勝負」といったイメージがありますが、徳本修一さんの考えはまったく違います。
徳本修一さんが立ち上げた農業ブランド「TREE&NORF」では、有機栽培をベースにしながらもデータとロジックを駆使した“見える化”を徹底。
土壌診断や収量の記録、販売データの分析など、まるでベンチャー企業のような農業スタイルを実践しています。
それもそのはず、徳本修一さんは農業を「感覚ではなく経営と科学」として語ります。
このスタンスが、従来の農家像と大きく異なる点です。
また、徳本修一さんの発信力も強みの一つ。SNSやメディア出演を通じて、若者にもわかりやすい言葉で農業の魅力や課題を発信し、「かっこいい農業」のイメージづくりにも貢献しています。
結果として、彼の取り組みは国際的にも評価され、2025年には「グローバルファームリーダー賞」まで受賞。
泥くさくて地味と思われがちな農業に、徳本修一さんは新しい風を吹き込んでいるんです。
徳本修一のプロフィール・現在の活動まとめ
年齢や出身地といった基本プロフィールから、現在の拠点や活動内容、地域とのつながりまで、徳本修一さんの“いま”をギュッとまとめてご紹介します。
