全国高校サッカー選手権で圧巻の活躍を見せた神村学園のエース・倉中悠駕選手。
4得点を決めた準々決勝ではSNSでも話題になり、「プロいけるだろ?」という声が相次ぎました。
しかし、そんな倉中選手が選んだ進路は“プロ”ではなく“大学”。
2026年春、関東大学リーグ1部の名門・国士舘大学への進学が濃厚と報じられています。
高校得点王が、なぜプロ入りを見送って大学を選んだのか。
その理由には、ケガと向き合いながらも成長を止めなかった3年間の努力と、
「遠回りでも夢を掴む」という強い覚悟がありました。
この記事では、倉中悠駕選手のプロフィール・実績・進路決定の背景・今後の展望をわかりやすく解説します。
この記事でわかること
- 倉中悠駕選手のプロフィールと高校での実績
- いわきFC・水戸ホーリーホック練習参加の経緯
- プロ内定を逃した理由と疲労骨折の影響
- 国士舘大学進学を選んだ背景
- 大学サッカーでの目標と4年後のプロ挑戦
倉中悠駕の進路は国士舘大学!高校サッカー得点王が選んだ理由とは?
高校サッカー選手権で圧巻の活躍を見せた神村学園のエース・倉中悠駕選手。
その進路は、2026年春に国士舘大学への進学が決まったようです。
Jリーグクラブへの練習参加経験を経て、倉中悠駕選手が大学進学を選んだ背景には「もう一度自分を磨きたい」という強い思いがありました。
プロの世界をすぐに目指すより、大学サッカーで基礎を固める決断。
この選択には、倉中悠駕選手なりの明確な理由があったのです。
いわきFC・水戸ホーリーホック練習参加の経緯
倉中悠駕選手は、2025年夏のインターハイ直前にJ2・いわきFCの練習に参加しました。
プロの環境に初めて触れたことで、プレー面に大きな刺激を受けたといいます。
特にシュートの打ち方やポストプレーにおいて、プロ選手から直接アドバイスを受けたことで、自信と成長を感じる機会となりました。
この経験は、インターハイ本番でもすぐに活かされ、7月27日に行われた2回戦・帝京戦では、体を張ったポストプレーからゴールを決めるなど、存在感を発揮しました。
さらに倉中悠駕選手は、同年秋には水戸ホーリーホックの練習にも参加。
2クラブを通じてプロのスピード感や判断力の違いを肌で実感し、「今のままでは通用しない」と痛感したそうです。
いわきFCでも高さやポストプレーを評価された一方で、即戦力としての契約には至らず、本人も「自分をもっと鍛えたい」という思いを強くしたと語っています。
これらの経験を経て、倉中選手は国士舘大学への進学を決意。
プロで通用する力を身につけるため、大学サッカーでの4年間を選びました。
プロ入りを見送った理由とは
プロ内定を逃した最大の理由は、疲労骨折によるコンディション不良。
倉中悠駕選手は恥骨疲労骨折を抱え、痛み止めを打ちながら試合に出場していました。
それでも大会通算6得点という驚異的な成績を残しましたが、スカウト側は「完全復調を待ちたい」という判断を下した模様です。
倉中悠駕選手自身も「焦ってプロに行くより、大学で力をつけたい」と語っており、冷静に現実を見つめた上での決断でした。
国士舘大学を選んだ決め手
国士舘大学は、これまで多くのJリーガーを輩出してきた名門です。
関東大学リーグ1部に所属し、技術とフィジカルの両面でプロに近い環境が整っています。
倉中悠駕選手が注目したのは、「試合経験を積みながら自分を高められる場」。
高校時代の仲間が次々とプロ入りする中でも、自らの道を選び取った彼の姿勢には確かな信念があります。
「大学からでもプロには行ける。その道を証明したい。」
そんな覚悟が、倉中悠駕選手の次なる4年間を支えていくのです。
倉中悠駕のプロフィールと高校での実績
倉中悠駕選手は、神村学園の9番を背負い、全国屈指の得点力を誇るフォワードです。
2007年4月8日生まれの18歳。身長180cm、体重74kgと恵まれた体格を持ち、左右両足を自在に使い分ける器用さが特徴です。
中学時代は宮崎県日南市立吾田中学校でプレー。
地元の中体連から強豪・神村学園へと進学し、高いレベルでサッカーを続ける道を選びました。
その決断が、倉中悠駕選手を全国区の選手へと成長させたのです。
神村学園で背番号9を背負った3年間
入学当初から将来を嘱望されていた倉中悠駕選手ですが、下級生の頃は出場機会に恵まれませんでした。
それでも地道な努力を続け、3年生でついにレギュラーの座を掴みます。
プレミアリーグWESTでは14試合に出場し3得点。
数字以上に、チームプレーとポストワークで信頼を勝ち取りました。
監督の有村圭一郎氏も「優しすぎる性格が、倉中悠駕選手の魅力でもあり課題」と語っています。
全国高校サッカー選手権での圧巻4得点
2026年1月4日、選手権準々決勝・日大藤沢戦。
倉中選手は左足、右足、ヘディングと異なる形で4得点を奪い、チームを4-1の快勝に導きました。
この試合で通算6得点とし、得点ランキング単独首位に浮上。
観客席からは「レベル違いすぎ」「プロいけるだろ」とSNSで大反響が起こりました。
苦しみながらも結果を出す姿勢が、多くのファンの心を掴んだのです。
得点王へ躍り出たプレースタイル
倉中悠駕選手の魅力は、バランスの取れた万能型ストライカーであること。
両足の精度、空中戦の強さ、ポストプレーの安定感に加え、常にゴール前で冷静さを保てるメンタルが光ります。
父親の指導で幼い頃から両足を鍛えたことが、今の強みにつながっているそうです。
スピード型ではなく、“賢く点を取るFW”。
そのスタイルは、元日本代表FW大迫勇也さんを思わせるものがあります。
倉中悠駕が抱える疲労骨折と戦い
倉中悠駕選手は、全国高校サッカー選手権で得点王を争う中、恥骨の疲労骨折を抱えながらプレーを続けています。
万全ではない身体で、それでもゴールを重ねる姿には、多くの人が心を動かされました。
倉中悠駕選手のプレーには、単なる根性や我慢を超えた「使命感」のようなものが感じられます。
チームの勝利のために、自分の限界を超えてピッチに立ち続ける。
その覚悟が、神村学園の躍進を支えているのです。
恥骨疲労骨折の影響と出場の裏側
疲労骨折は、サッカー選手にとって最も厄介なケガのひとつです。
走る、蹴る、ターンする——あらゆる動作で痛みが走るため、本来なら休養が必要な状態。
倉中悠駕選手はそれでも「仲間と最後まで戦いたい」との思いで出場を続けています。
試合前には痛み止めを服用し、ウォーミングアップではできるだけ負担を減らす動きを選択。
プレー中は顔に出さず、淡々とゴールを狙い続けています。
有村監督も「彼はチームのために痛みを隠している」と語り、その献身がチーム全体の士気を高めていることは間違いありません。
痛みを抱えながらも挑み続ける理由
なぜそこまでしてピッチに立ち続けるのか。
倉中悠駕選手は、語っています。
「自分は誰にも負けないと思ってプレーしています」
引用元:日刊スポーツ
倉中悠駕選手にとって、全国大会は単なる“試合”ではなく、“恩返し”の場。
これまで支えてくれた家族、チームメイト、指導者、そして自分自身に対して、最高の形で応えたいという強い気持ちがあるのです。
誰にも負けない思いが、倉中悠駕選手の今を象徴しています。
この信念がある限り、倉中悠駕選手はどんな困難にも負けないでしょう。
まとめ
ここまで「倉中悠駕の進路は国士舘大学!高校サッカー得点王が選んだ理由とは?」と題してお送りしました。
倉中悠駕選手は、神村学園の9番として全国高校サッカー選手権で6得点を挙げ、得点ランキング首位に立つ注目株です。
しかし、疲労骨折を抱えながらの戦いの中で、プロではなく大学進学という決断を下しました。
その背景には、焦らず実力を磨きたいという強い意志があります。
今後は、関東大学リーグ1部の強豪・国士舘大学でさらなる成長を目指します。
4年後のプロ入りを目標に、フィジカル・スピード・判断力を磨き上げる期間となるでしょう。
仲間が先にプロの舞台へ進む中でも、自分のペースで挑戦を続ける姿は、多くの若い選手の希望にもなっています。
この記事のまとめポイント
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倉中悠駕選手の進路は国士舘大学進学が濃厚
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高校では全国大会6得点で得点王争い
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疲労骨折を抱えながら出場し、チームを準決勝へ導く
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プロ内定はなしだが、大学での成長を誓う
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将来の夢は「大学経由でプロ入りし、日本を代表するFWになる」
倉中悠駕選手の挑戦は、まだ始まったばかりです。
高校サッカーのヒーローから、大学サッカーの中心選手へ。
次に倉中悠駕選手がどんなゴールを決めるのか、サッカーファンの期待は高まるばかりです。
