映画『リベリアの白い血』や『アイヌモシリ』で知られる映画監督・福永壮志さん。
海外の映画祭でも高く評価される一方で、彼の作品には常に「北海道」という原点が息づいています。
そんな福永壮志さんのルーツをたどるうえで、気になるのが出身高校や学生時代のエピソードです。
どんな高校に通い、どのような経験が彼の映画づくりに影響したのでしょうか?
この記事では、福永さんの出身高校である北海道伊達緑丘高等学校を中心に、偏差値や部活動、そして高校時代の心の変化を丁寧に解説します。
この記事でわかること
- 福永壮志さんの出身高校と基本プロフィール
- 伊達緑丘高校の偏差値・学校の特徴・閉校の経緯
- バスケットボール部時代のエピソードと人柄
- 映画に興味を持った高校2年生のきっかけ
- 『アイヌモシリ』や『リベリアの白い血』に繋がる高校時代の原体験
福永壮志の出身高校はどこ?基本プロフィールから紹介
北海道出身の映画監督・福永壮志さんは、国際的な評価を受ける注目のクリエイターです。
代表作『リベリアの白い血』(2015年)や『アイヌモシリ』(2020年)では、故郷・北海道の風土や人間の内面をリアルに描き出しています。
出身地は北海道伊達市。
そして、福永壮志さんが通っていたのは北海道伊達緑丘高等学校(1985年開校、2023年閉校)です。
この学校は普通科のみを設ける地域密着型の公立高校で、自然豊かな環境の中、のびのびとした教育を行っていました。
福永壮志さんはこの地で青春時代を過ごし、のちに海外で映画を学ぶ原点を築いたとされています。
北海道伊達市出身
福永壮志さんは1982年9月10日、北海道伊達市で生まれました。
伊達市は洞爺湖に近く、海と山に囲まれた自然豊かな町です。
地域にはアイヌ文化が根付いており、歴史的にも独自の文化背景を持つ土地。
そんな環境で育った福永さんは、幼いころから自然や人との関わりを大切にしてきました。
冬が長い北海道では、屋内で映画や本を楽しむ時間が多かったとされ、これが映画への興味の芽生えにつながったようです。
出身高校は北海道伊達緑丘高等学校
出身高校は北海道伊達緑丘高等学校です。
この学校は1985年に開校し、「自主・協調・創造」を教育目標に掲げる普通科高校。
地域の子どもたちの進学・就職を支える学校として親しまれてきました。
福永壮志さんは同校の第16期卒業生とされ、おそらく2000年前後に卒業した世代。
卒業生としての誇りを持ち、2020年には母校で自身の映画『アイヌモシリ』を上映し、講演会にも登壇しています。
このエピソードからも、福永壮志にとって伊達緑丘高校が人生の重要な出発点だったことが分かります。
高校の偏差値や特徴をチェック
北海道伊達緑丘高校の偏差値はおよそ48前後(複数の情報源により推定)
普通科としては標準的なレベルで、地域密着型の教育を重視していました。
特徴として、部活動が活発であることが挙げられます。
特にバスケットボール部と野球部が盛んで、地域大会にも積極的に参加していました。
また、学校の雰囲気は自由でアットホーム。生徒同士の仲も良く、のびのびとした校風が特徴でした。
福永壮志の高校時代の部活動や性格エピソード
北海道伊達緑丘高校での3年間は、福永壮志さんにとって人生の基盤を作る大切な時期でした。
学業だけでなく、部活動や人間関係を通じてチームワークや自己表現の大切さを学んだといわれています。
特に、高校時代の経験が映画制作への姿勢やテーマに深く影響していることは、多くのインタビューからも明らかです。
ここでは、当時の部活動やエピソードを中心に、その素顔に迫ります。
バスケットボール部に所属
福永壮志さんは高校時代、バスケットボール部に所属していました。
練習は厳しかったものの、仲間と協力して試合に臨むチームスポーツの中で、「協調性」や「集中力」を磨いたとされています。
のちのインタビューで、「映画制作もチーム戦。監督はキャプテンのような存在」と語っており、高校時代の部活動経験が、作品づくりにおけるリーダーシップや現場運営の基礎となっていることがわかります。
また、部活動を通して地域の大会にも出場し、地元の仲間たちとのつながりを大切にしていたようです。
映画に興味を持ったきっかけ
高校2年生の頃、ビデオで観た『2001年宇宙の旅』に衝撃を受け、映画に興味を持ったきっかけになったと監督のインタビューで報じられています。
当時はまだ映画制作を職業にする意識はなかったものの、
映像表現の可能性に強く惹かれ、友人たちと映画について語り合う時間が増えたといいます。
この「心を動かされた体験」が、のちに映画監督を志す原点となりました。
北海道という自然豊かな土地で過ごした高校生活は、創造性を育む時間でもあったのです。
異文化に触れたいと留学を決意
高校3年生頃、福永監督は進路を考える中で日本の外の世界に興味を持ちたとインタビューで語っています。
当時の社会の固定観念に息苦しさを覚え、異文化の中で自分を見つめ直したいという思いが芽生えたと報じられています
英語は苦手だったものの、卒業後に秋田県雄和町のミネソタ州立大学秋田校へ進学。
ここで約1年半、英語と留学準備を学んだのち、アメリカ・ミネソタ州の大学へ進みました。
この“挑戦する姿勢”こそが、後に海外映画祭で高く評価される作品を生み出すエネルギー源となりました。
高校時代に芽生えた「外の世界を見たい」という願いが、彼の人生を大きく動かしたのです。
高校と作品の関係
福永壮志さんの作品には、北海道で過ごした青春時代や、伊達緑丘高校での経験が随所に反映されています。
高校時代に感じた「地域の文化的空白」や「世界への憧れ」が、映画づくりの原動力になったといっても過言ではありません。
特に、『アイヌモシリ』(2020年)は、彼が生まれ育った伊達市周辺の文化的背景と、自身の高校時代の心情が重なる作品として知られています。
高校時代に感じた閉塞感とアイヌ文化
福永壮志さんが高校生の頃、伊達市ではアイヌ文化に関する教育はまだ十分に行われていませんでした。
福永壮志さんはのちのインタビューで「北海道で育ちながら、アイヌ文化を体系的に学ぶ機会が少なかった」と振り返っています。
この「知らなかった」という実感こそが、作品『アイヌモシリ』の制作動機のひとつ。
高校時代に感じた“見えない壁”や“息苦しさ”が、文化と自己を見つめ直すテーマへと昇華されたのです。
その原点が、まさに伊達緑丘高校での青春時代にあったことは間違いありません。
アイヌモシリに込めたまなざし
『アイヌモシリ』は、北海道のアイヌ民族の少年の成長を描いた物語です。
ロケ地は、福永監督の出身地である伊達市周辺や白老町など。
高校時代を過ごした土地の風景が、そのままスクリーンに映し出されています。
作品には、自然と共に生きることの尊さ、文化の継承、そして“自分のルーツを知る”というメッセージが込められています。
これはまさに、福永さんが高校時代に抱いた「もっと世界を見たい」「自分を知りたい」という感情の延長線上にあるテーマです。
母校での講演会と閉校イベント
2020年12月、伊達緑丘高校では『アイヌモシリ』の校内上映会と、福永監督の講演会が開催されました。
福永監督は母校凱旋の場で、後輩たちに異文化理解の重要性を語ったと報じられています。
この言葉は、まさに福永壮志さんの高校時代から一貫して持ち続けてきた信念を象徴しています。
さらに、伊達緑丘高校はその後、2023年3月に閉校しましたが、卒業生としての福永さんの歩みは今も多くの地元住民にとって誇りとなっています。
福永壮志さんの映画には、高校生活で培われた“郷土への愛”と“新しい価値観への探求心”が共存しているのです。
高校卒業後の学歴と海外挑戦
高校卒業後、福永壮志さんは「海外に出て異文化を学びたい」という強い思いを胸に行動を起こしました。
ここからが、福永壮志さんの人生のターニングポイントです。
英語が苦手だったが、福永壮志さんがなぜアメリカへ渡る決意をしたのか、その背景には、高校時代に感じた息苦しさと、世界への憧れがありました。
ミネソタ州立大学秋田校で英語を学ぶ
高校卒業後、福永壮志さんはまず秋田県雄和町(現・秋田市)にあるミネソタ州立大学秋田校へ進学します。
この学校は、アメリカ・ミネソタ州立大学の分校として設立された全寮制の教育機関で、全授業が英語で行われていました。
英語が得意ではなかった福永壮志さんは、最初は授業についていくのに苦労したそうです。
しかし、徹底した英語環境の中で実践的に学び、自分の意志で学ぶ力を身につけていきました。
この時期の経験が、「言葉の壁を超える勇気」を育て、のちの国際的な活動につながっていきます。
アメリカ・ミネソタ州からNYへ進学
秋田校で約1年半学んだ後、提携校であるミネソタ州立大学(本校)に編入。
ここでは写真やアートの授業を中心に受け、芸術への関心を深めていきます。
アメリカの大学では、入学後に自分の専攻を決めるスタイルが一般的です。
福永壮志さんもこの制度に共感し、「自分が本当にやりたいこと」を模索する時間を過ごしました。
その結果、2年間の学びを経て、ニューヨーク市立大学ブルックリン校(CUNY Brooklyn College)映画学部へ進学。
ここで本格的に映画制作の道を歩み始めます。
ニューヨークで映像制作
ブルックリン校では映画制作を学びながら、現地の映像制作会社でアルバイトを経験。
編集作業や撮影現場のアシスタントを通して、実践的なスキルを磨きました。
当時、ニューヨークは世界中のアーティストが集う街。
多様な文化と人種が交差する環境で、自分自身のアイデンティティと向き合う日々を送ります。
その後、2015年に発表した長編デビュー作『リベリアの白い血』がベルリン国際映画祭で高く評価され、国際的に注目される存在へと成長しました。
こうした成功の裏には、高校時代の挑戦心と、閉鎖的な環境から一歩踏み出す勇気がありました。
まさに「伊達緑丘高校から世界へ」という言葉がふさわしいキャリアです。
まとめ
ここまで「福永壮志の出身高校はどこ?偏差値や部活動歴も調査!」と題してお送りしました。
この記事では、北海道出身の映画監督・福永壮志さんがどのような高校生活を送り、
それが後の映画制作にどう影響を与えたのかを掘り下げてきました。
この記事のポイント
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福永壮志さんの出身高校は 北海道伊達緑丘高等学校(現在は閉校)。
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偏差値はおよそ48前後で、地域密着型の公立高校として知られていた。
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バスケットボール部に所属し、チームプレーや協調性を学んだ。
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高校2年生で観た『2001年宇宙の旅』が映画に興味を持つきっかけに。
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卒業後は 秋田→アメリカ→ニューヨーク へと進み、国際的映画監督へ成長。
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高校で感じた「閉塞感」や「アイヌ文化教育の欠如」が、のちの作品『アイヌモシリ』の根底にあるテーマとなった。
北海道の小さな町の公立高校から、世界の映画祭で注目される監督へ。
福永壮志さんの人生は、「環境に縛られず、自分の可能性を信じて動くこと」の大切さを教えてくれます。
母校・伊達緑丘高校が閉校した今も、作品は“ふるさと”の記憶をスクリーンに刻み続けているのです。
